トップ中国のあれこれ職業の選択と人材交流事情

職業の選択と人材交流事情

今回もコーヒーブレークで、中国あれこれの中の職業事情の関係について、少しだけ書いてみました。

近年、中国は改革開放政策をとったことにより、経済の発展が著しくなり、優秀な人材の移動が活発になってきました。急激にその状況が拡大していったため、従来の職業管理システムでは対応できなくなっていきました。

そこで、政府の指導の下に、上海や北京で「職業紹介服務中心」や「人材交流中心」が設立されて大きな成果を上げています。

中国では個人の職歴や金の評価、賞罰などを記録した書類があり、それらは「団案」と呼ばれています。もちろん国家の手で管理されています。

新たに設立された「中心(センター)」では、「団案」を以前の職場から直接取り寄せて、採用を考えている会社側が閲覧できるようなサービスを行っています。これによって、転職や再就職がスムーズに行われるようになりました。

この成功により、各地に「人材市場」が設立され職業紹介が一般的になったため、自由な職業の選択や人材の交流はますます活発になっていったのでした。今ではこのほかに、次のような職業を斡旋する所があちこちに設けられて、一層労働力の移動・交流は活発になってきています。

私が勤務していた鎮は、日本の地方の県庁所在地ではない市くらい相当しますが、そのようなところにも「職業紹介服務中心」が作られていました。

毎年、春節と言われる中国正月のあとは、多くの労働者が帰省した故郷から戻ってこなくて労働力不足になり、「服務中心」に求人広告や募集案内を出したものでした。

地方から戻ってきたばかりのものすごい数の若い男女が、センターの内外にあふれてたのを思い出します。中国では出稼ぎは父親の役目ではなく、若い子供たちが遠くの都市に出稼ぎに出るのが普通でした。

ここで少し話は脱線しますが、
中国の労働者は、1年周期で職場を替えることが多かったと感じています。
つまり、正月前の12月から1月に故郷に帰省して、1カ月間は故郷で家族と一緒に過ごします。そしてそのあとは同じ街、あるいは友人のいる別の街へ移動して、あらたな職業につくというのが非常に多かったからです。

当時は、新たに就職した人の70%は半年後までに辞め、定着した人の中でも、正月に故郷に帰省した人の20%くらいは、同じ会社に戻らなかったものです。

■老板市場:
外資系企業や合弁企業などに、高級管理職を斡旋するところ。

■労働市場:
農村の余剰労働力を、大都市の向上や工事現場に斡旋するところ。

 

新しい職種の誕生

以上のような背景により、次のような新しい職種も生まれてきました。

□民工:
出稼ぎ労働者や臨時工、合同工(契約労働者)があり、合同工の場合は、1年ごとの契約で労働/医療保険が付くのが一般的です。(中国で契約は合同という語になり、契約書は合同書と言います)

□打工妹:
内陸部の農村から北、16~20歳ぐらいの若い女性の出稼ぎ工場労働者。
多くは、集団契約で就寝仕事に生産グループを作り、社員寮で共同生活をしています。

□下海:
国家や軍の安定した地位、大学教授や医者などの社会的な地位を捨てて、会社経営に乗り出す人たち。

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